私たちの遠い祖先は、
捕食者に直面した時に生き延びるために
2択の選択肢を迫られていた。
①全力で闘う
②全力で逃げる
いずれにせよ、生き延びるために、
人間の体は複雑な生理的プロセスを
発動しなければならなかった。
心臓は筋肉に多くの血液を送って、
エネルギー効率を高めるために
グルコースが分泌され、
危険を察知するために瞳孔が開く。
ただ、女性の場合は上記に加えて
「思いやりと絆」というパターンも見られた。
祖先の生活において、女性は幼児の世話をし、集団の安全のために結束を高める役割を果たしていた。もし、集団の中で地位の高い女性を怒らせてしまったらトラブルになり、最悪の場合集団から追い出されてしまうかもしれないリスクがあった。
もし、集団から追い出されてしまったら最終的には死に至ったり、悲惨な末路を迎えることになる。
そのような背景があるから一般的に女性は直接の対立を避けがちになる。社会の秩序を維持し、平和を保つために人の気持ちを読んだり、人を喜ばせたり、慎重な行動を取ったりする。
時にはこのような社会的行動は文化的に好ましくない感情の隠蔽(浮気や不倫のように好きになってはいけない人を好きになるとか)や、極端な場合自我の抑制(私の経験上、家族関係が良くないケースはしばしばこれが起きる)につながるかもしれない。
もちろん、男性も社会的な行動をとることができるが、女性は集団の複雑な力関係の中で生き残るために「思いやりと絆」が脳と神経系に組み込まれていて、社会的な行動を取りがちになる。
強い男が好きな女性は多いのだが、これは本能的に生存確率が上がるからであり、現代は資本主義社会なのでお金がある男がモテたり、影響力がある男がモテるというのも当然なのである。
男性も女性もそもそも本質的には社会的存在であり、集団に属し、受け入れられることは、「水、空気、食べ物、安全」と同等に生存するために極めて重要である。成長して、自分1人で自分のことをできるようになってからも、私たちのアイデンティティと安全は他者との交流に支えられている。
思考実験
「森の中で木が倒れてその下敷きになった時に、叫び声が聞こえる範囲に人がいなかったらどうなるか?」
他者との関係性の中で自分を見ることができなかったら、自分はどんな人間だと言えるのか?
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